1945年4月23日の朝、鳥取県境港市大正町の岸壁で火薬を陸揚げ中だった旧日本陸軍の徴用船「玉栄丸(たまえまる)」(937トン)が爆発し、多くの犠牲者が出た事故で、当時の憲兵(故人)が上等兵への取り調べを通して知り得た爆発原因を書き残した手記が見つかった。「たばこを吸い、無意識に吸い殻を捨てた。火薬に引火し…」との自白内容が記されている。これまで原因不明だった玉栄丸爆発の「新事実」を物語るもので、戦後、県内の戦災記録をまとめた教育関係者は「重要な証言だ」と関心を寄せている。
手記を残していたのは鳥取憲兵分隊の西尾重之さん=一九九三年死去=。知人の真山基さん(83)=琴浦町光=を通して関東憲兵隊教習隊(旧満州)の同期生会報(一九八五年発行)に投稿していたもので、真山さんがこのほど、会報に掲載された西尾さんの投稿内容を新日本海新聞社に伝えた。
当時の状況について、西尾さんは負傷者を尋問していた際、何か落ち着かず、おどおどした上等兵に出会い、その態度に何か不審なものを感じた。繰り返し追及したところ、上等兵は涙を流しながら話してくれた、と記述。
記された上等兵の自白内容は「陸揚げの途中で休憩があった。たばこに火を付けて一服吸い、無意識に吸い殻を投げ捨てた。ところが、そこらにこぼれていた火薬に引火し、パッ!パッ!と火が走り出した。数秒の後、いきなりドカン!ドカン!と大爆音、その時、大爆風で前に倒され、背中にやけどを負った」とある。
手記に上等兵の名前は記されていないが、「困難を予想された件もやっと解決を見ることができました。せめてもの救いは敵側の謀略でなかったことです」と西尾さんは書き残している。
「鳥取県の戦災記録」(一九八二年発行)で玉栄丸爆発の調査を担当していた根平雄一郎さん(59)=境港市教育長=は「岸壁で待機中の兵隊の中にはたばこを吸っている者もいたとの目撃証言はあったが、特定できなかった。(西尾さんの手記は)原因を調べる立場にある憲兵の証言であり、信ぴょう性が高い。重要な証言だ」と話している。
玉栄丸の爆発は午前七時四十分に発生。その後の誘爆によって周辺の家屋四百三十一戸が倒壊焼失し、百十五人が死亡、三百九人が負傷した。犠牲者の冥福と市民の平和を祈る慰霊碑が現地に建立され、毎年四月二十三日に爆発時刻に合わせて献花式が営まれている。(5/31記事)
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