多くの犠牲者を出した旧日本陸軍徴用船「玉栄丸」の爆発事故から六十二年になる二十三日、事故現場付近の鳥取県境港市大正町にある慰霊碑で献花式が営まれた。体験者が少なくなる中、参列者は犠牲者の冥福を祈りながら、悲惨な事故の忌まわしい記憶を風化させないよう誓った。
玉栄丸は一九四五年四月二十三日、同町の岸壁で爆薬の荷揚げ作業中に突然大爆発を起こした。死者百十五人、重軽傷者三百九人、倒壊焼失家屋四百三十一戸、被災人口千七百九十人に上り、同市は山陰地方で最大の戦災都市となった。六五年、同町のしおさい会館前に慰霊碑が建立され、五十周年追悼式が営まれた九五年に現在地に移転。献花式は移転した年から毎年行われている。
式では、遺族をはじめ中村勝治市長や市職員ら約四十人が慰霊碑前に参列し、事故発生時刻の午前七時四十分に合わせて黙とう。中村市長が「永久に安らかに」と刻まれた慰霊碑に献花し、「今の時代に生きる者として二度と悲惨な歴史を繰り返さないよう、平和の尊さを後世に語り継いでいく責任がある」と述べた。
この事故で兄を失ったという男性(74)は「今でもまだ、事故のことが忘れられない。話をするたびに悲しくなる」と言葉少なに話し、涙をぬぐっていた。(4/24記事)
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